mir-aclの物置小屋

情報置き場

感情を認めることと 脚色しないこと、

感情を認めること

出来るなら幾つかの解決策をかんがえて、

実行する

負の感情は特に脚色しない 繰り返し考えない

気をつけないとすぐに膨らむ、脚色が増殖して

 

 

普段聞かない音楽が一掃していく 気がした

わすれて、ふとわすれて、段々どこかに紛れていって

ほとんど思い出さなくなる

 

忘れるって素敵なことだ

 

あとは

忘れないくらい いい仲間がいた思い出も 

時折 最近良く、またはふと 思い出す昔のこと

覚えていること

忘れない思い出も同じくらい 素敵なことだ

 

感情を誰かに 判断されるのはハラスメントだ

ジャッジされるのは

些細なことでもハラスメントだ

 

心が空白で淡い色で満ちている時間も

素敵だ

 

さみしい さみしい どうしようもなくさみしい それと同時に、

フワフワな淡い色と 激情が同居している

そんな自分が好きだ

 

みんなも私を好きになってくれたらいいのに

さみしくて涙が出て フワフワ笑いながら

 

連休はゆっくり休んで 楽しもう

負けてあげるとか、一歩引くとか

なぜできなくなったのだろう、

というか、できていたことがあったのだろうか。

 

たとえば相手の機嫌を損ねないために

相手を接待するために

人が傷つかないために

自分を下げるとか、

貧乏くじをひいても文句言わないとか。

 

普段はそこまで小さいこと言わないのに

些細なことではりあったり、

負けを認めなかったり、

 

それが微笑ましい仲良しとか、ライバルとか、

クソムカついても認めあってる漫画のキャラならまだいいんだけど

やっぱりただムカつく、生理的無理な相手だとさ

 

いや、大人になるって何?

むりじゃん、そもこの怒りは、みたいな

短絡ループに陥る。

 

あんな周りにめいわくかけてて、こっちは大迷惑だし死ねばいいのに、とか普通に思う。

 

どっかの偉ぶってる人は私の人間性すら否定するんだろうね、

だから、だけど、

人は感情の生き物だから

この感情を認めないと、先には進めない、

 

 

事務

「#Rethinkしよう」

 

事務って、面白い? つまらない?

事務好き? 嫌い?

事務にいる人と合う? 合わない?

普通の会社ってなに?

派遣は損? 得?

委託は損? 得?

上司はいい人? 悪い人?

 

多面的なもののなかから、主観的に見たいように見てる世界の中で

パラレルワールドに入り込んだかと、ぞわっとする。

 

転職したのに

同じ顔ぶれ、同じ言葉、同じ人間関係、

私なんか幸せになれない。

 

絶望、悲しみ、怒り、不安が、

心の糸を切る エラーが起こる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

能登の災害と紗栄子さん

やっぱり寄付に対しての腰が重い。

これだけの災害が起きてなお、というか、

起きてしまったからこそ、「さあ今回こそ寄付しなきゃ」という気持ちと、

 

「他の人も沢山してるから必要ないのでは?(特に私のような貧乏人から、、、)」という気持ち。

あとは、「どこにするべきか」「いくらするべきか」

うちの実家の環境(きっと誰一人寄付なんかしないだろう人たち)を悲しく思ったり

 

ほんと、きっと何も考えず人のことだけを思って動ける心のきれいな人もいるんだろうけど

 

いざしようと思うとなかなか頭がパンクする。

 

結局、一番行動力がありそうな、ニュースになってた紗栄子さんの団体に、「あなたを支持する」という心ばかりの寄付をさせてもらった。

 

一般社団法人であり、寄付金の税金控除申請の「対象外」となる。

認定NPO法人公益社団法人等ではない、というのが何を意味するのか、

では認定NPOには闇はないのか、等々、考え始めると陰謀論者のようなネガループにはまってしまうので笑、

紗栄子さんの代表メッセージが本当に心を打つものだったので、信じることにした。

 

力ある人は「分かる人だけわかればいい」ではなく説明責任が伴うと、常々思っている。

とても共感できるものだった。

 

 

あーあと山本太郎さんも、絶対悪い人ではないと信じてる。炊き出しだってボランティアの人も自衛隊も国の人も、等しくロボットじゃない、人間なんだから、寒いところで働いたら疲れるしお腹だってすくだろう。

ただ不器用というか、自分からわざわざバラさなくても。これは世間の風潮のほうが変わるといいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今の気持ち

徹底的に合わない人と会社の中で、

対人トラブルに対してきちんとやってくれる、と

信じやってきたが裏切られそう

心の中、ここ数日、相手を殺したい、死にたい、相手の太り過ぎ不潔すぎを気持ち悪く不快に思う、体調に影響していて生霊でも飛ばされた、もしくは飛ばした、両方か。痛く気持ち悪い。

 

夏までは調子良かったのに。

 

殺したい、が、強すぎると、全てが悪い方に向くし、心の余裕が全くなくなる。

やめなさいもくそもないわ。自暴自棄に追い込まれて心身摩耗、ほとんど寝られず痛みが常にある

殺したい、死ねばいい、逃げ道も塞がれている

 

 

 

 

喜捨

喜捨(きしゃ)

毎日寄付について考える、毎月寄付をすると決めてから、数ヶ月。

頭の片隅にあるけど、まだまだ自分の考えなどまとまらない。

喜捨の概念がある仏教の国では、寄付が盛んだと記事で見てから、「喜捨」という言葉を知ったけど、「喜捨」の実践なんてなかなか。

 

「練習、練習」と唱えながらスマートフォンの画面越しに指を動かすだけ。

 

余裕ができてありがたい、ご飯が食べられてありがたい、今まで見て見ぬふりしてきたが多くの人が募金してくれたんだ、などと。いいご縁ができたらいいな、などと。占いでは長生きしないらしいし、、などと。雑念ばっかり。

 

上のは許せる雑念。寄付先への不信、金額が決まらないのは悪い雑念。悪い雑念が多いときは結局やめる。

 

 

ほんと、身近に人を思いやる大人がいなかったのは、それも私の徳が低いせいだろうか?

時代ももちろんあるとは思うけど。今どきの親と、戦前戦後を幼少期に過ごした親では価値観も違うだろう。

 

 

三年位続けたら少しは考えられるようになるだろうか。

まだまだ練習が続く。

毎日少しでも寄付について考え続ける。