mir-aclの物置小屋

情報置き場

お金 行きたいところ

どこでも、いきたい場所に行こうとすると

お金が、かかるよね

 

私は「お金をかける価値がない」ものとして育てられた。と心の奥底で感じるような

そういう体験ばかりが心の中に残っている

本当は齟齬があったとしても、

プラス、存在の全否定、完全無視をされ続けけたのだから。

食事は作ってくれた。学校も行かせてくれた。制服も買ってくれたよね、だけど世間体だけが大事で話すことも完無視され、愛のかけらもないと感じ続ければ、

 

誰かと比べれば暴力ないだけましとか、言われるかもだけど、そうやって比べなくても、

他人に辛さをジャッジする権利はない。

おとなになってからも相当な頻度で家の悪夢を見続ける、何十年も何十年もって、

悪夢で汗かいて心臓が痛い状態で混乱して目が覚める、

十分な呪いだと思う。

 

 

そんななんで、価値観も、なんにもかにも、愛されて育った、まともな人たちとは

若干違ったり、

帰る家がない、というだけでもマイノリティで、

実家の親と仲がいい、とか、友達が多いとかを、友人関係、婚活、などに求める人とは絶対に合わない

マイノリティってそんなに悪いこと?って思う。

生きてるだけで悪いこと?

 

なので、未だにお金の使い方が下手だ。

何か買う、飲食、散髪、全て、私にはお金をかける価値がない、とまず思う。

多少元気なら勢いでできたり、ルーティンならまし(家賃払う、毎月定期を買うとか、毎日安いパン買うとか)だけど、元気がないと全然だめ

 

こんなんで、なんでちゃんと定期的に美容院行かないの?とか、

それが当たり前の人たちと会話すら疲れる。

 

明日の余裕もない時期から、今は少し貯金もできて多少楽になったけど、

根本が全然だめだから、

自己愛の欠片もないから。

 

多少無理してでも2回同じ場所へ行こう。

ルーティンになると、呪いから外れるんだよね、

行きたい場所に、

全然行けなくて、

考えても計画立てても、「私には贅沢、権利がない、行っていいはずがない」みたいな呪いがあって

欲しいものも長年、欲しいタイミングで買えなくて

 

そういう生きにくい人生って、

愛されて育った人は想像もできないんだろうな。

 

今のままじゃ、死ぬまでに、どこにも行けないで終わってしまう。

20代前半で海外とか、すんなり自己投資してた人にずるい、って言ったら嫌われたけど、

でもやっぱずるいものはズルく感じる。

それだけ恵まれてていいねって。

強烈に飢餓感があること、マイノリティであること、そういう人と友達でいること、

それは、

仲いい人にも、隠さなきゃいけないことなんだろうか?

 

せめて、

死ぬまでに、健康なうちに、行きたいところ、やりたいことができるように、

2回は無理してやろう。

呪いから、外れるために。

 

 

 

 

 

 

 

グレー2

上役に納得がいかないと言いたくて言葉を飲み込み 

他の人に愚痴を言いたくて言葉を飲み込み

 

言いに戻ることもできるけど、

戻ってしまえば今までと同じになるから、

 

消化できるの?っていうのと

今何を思っているのだろう、と。

 

感情。孤立しているからどこにもぶつけられないもの。

ショック。不信。不安。不満。心配。むかつくとか嫌だこうしたいとか、こうすべきとか、

あの占いはこのこと?とか。

 

よくよく思えば、納得いかないことは伝えてるんだよね。怒りとして伝えてないだけで。

頑張った、偉い。

スッキリしない。

報われない

 

 

グレー という 重たいもの

なぜなぜなぜ、あの小さい空間でパワーゲームをするのか

マウント取ろうとするのか

客を踏みつけるのか

求めるものを提示しないのか

問いただしたくも、

結局明かさないことを、それに伴うことを

感じないといけない気がして

必死に言葉を飲み込んで

ぶつからないように

 

そうした分相手は今も同じ過ちを繰り返し続ける

 

感情を認めることと 脚色しないこと、

感情を認めること

出来るなら幾つかの解決策をかんがえて、

実行する

負の感情は特に脚色しない 繰り返し考えない

気をつけないとすぐに膨らむ、脚色が増殖して

 

 

普段聞かない音楽が一掃していく 気がした

わすれて、ふとわすれて、段々どこかに紛れていって

ほとんど思い出さなくなる

 

忘れるって素敵なことだ

 

あとは

忘れないくらい いい仲間がいた思い出も 

時折 最近良く、またはふと 思い出す昔のこと

覚えていること

忘れない思い出も同じくらい 素敵なことだ

 

感情を誰かに 判断されるのはハラスメントだ

ジャッジされるのは

些細なことでもハラスメントだ

 

心が空白で淡い色で満ちている時間も

素敵だ

 

さみしい さみしい どうしようもなくさみしい それと同時に、

フワフワな淡い色と 激情が同居している

そんな自分が好きだ

 

みんなも私を好きになってくれたらいいのに

さみしくて涙が出て フワフワ笑いながら

 

連休はゆっくり休んで 楽しもう

負けてあげるとか、一歩引くとか

なぜできなくなったのだろう、

というか、できていたことがあったのだろうか。

 

たとえば相手の機嫌を損ねないために

相手を接待するために

人が傷つかないために

自分を下げるとか、

貧乏くじをひいても文句言わないとか。

 

普段はそこまで小さいこと言わないのに

些細なことではりあったり、

負けを認めなかったり、

 

それが微笑ましい仲良しとか、ライバルとか、

クソムカついても認めあってる漫画のキャラならまだいいんだけど

やっぱりただムカつく、生理的無理な相手だとさ

 

いや、大人になるって何?

むりじゃん、そもこの怒りは、みたいな

短絡ループに陥る。

 

あんな周りにめいわくかけてて、こっちは大迷惑だし死ねばいいのに、とか普通に思う。

 

どっかの偉ぶってる人は私の人間性すら否定するんだろうね、

だから、だけど、

人は感情の生き物だから

この感情を認めないと、先には進めない、

 

 

事務

「#Rethinkしよう」

 

事務って、面白い? つまらない?

事務好き? 嫌い?

事務にいる人と合う? 合わない?

普通の会社ってなに?

派遣は損? 得?

委託は損? 得?

上司はいい人? 悪い人?

 

多面的なもののなかから、主観的に見たいように見てる世界の中で

パラレルワールドに入り込んだかと、ぞわっとする。

 

転職したのに

同じ顔ぶれ、同じ言葉、同じ人間関係、

私なんか幸せになれない。

 

絶望、悲しみ、怒り、不安が、

心の糸を切る エラーが起こる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

能登の災害と紗栄子さん

やっぱり寄付に対しての腰が重い。

これだけの災害が起きてなお、というか、

起きてしまったからこそ、「さあ今回こそ寄付しなきゃ」という気持ちと、

 

「他の人も沢山してるから必要ないのでは?(特に私のような貧乏人から、、、)」という気持ち。

あとは、「どこにするべきか」「いくらするべきか」

うちの実家の環境(きっと誰一人寄付なんかしないだろう人たち)を悲しく思ったり

 

ほんと、きっと何も考えず人のことだけを思って動ける心のきれいな人もいるんだろうけど

 

いざしようと思うとなかなか頭がパンクする。

 

結局、一番行動力がありそうな、ニュースになってた紗栄子さんの団体に、「あなたを支持する」という心ばかりの寄付をさせてもらった。

 

一般社団法人であり、寄付金の税金控除申請の「対象外」となる。

認定NPO法人公益社団法人等ではない、というのが何を意味するのか、

では認定NPOには闇はないのか、等々、考え始めると陰謀論者のようなネガループにはまってしまうので笑、

紗栄子さんの代表メッセージが本当に心を打つものだったので、信じることにした。

 

力ある人は「分かる人だけわかればいい」ではなく説明責任が伴うと、常々思っている。

とても共感できるものだった。

 

 

あーあと山本太郎さんも、絶対悪い人ではないと信じてる。炊き出しだってボランティアの人も自衛隊も国の人も、等しくロボットじゃない、人間なんだから、寒いところで働いたら疲れるしお腹だってすくだろう。

ただ不器用というか、自分からわざわざバラさなくても。これは世間の風潮のほうが変わるといいな。