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喜捨

喜捨(きしゃ)

毎日寄付について考える、毎月寄付をすると決めてから、数ヶ月。

頭の片隅にあるけど、まだまだ自分の考えなどまとまらない。

喜捨の概念がある仏教の国では、寄付が盛んだと記事で見てから、「喜捨」という言葉を知ったけど、「喜捨」の実践なんてなかなか。

 

「練習、練習」と唱えながらスマートフォンの画面越しに指を動かすだけ。

 

余裕ができてありがたい、ご飯が食べられてありがたい、今まで見て見ぬふりしてきたが多くの人が募金してくれたんだ、などと。いいご縁ができたらいいな、などと。占いでは長生きしないらしいし、、などと。雑念ばっかり。

 

上のは許せる雑念。寄付先への不信、金額が決まらないのは悪い雑念。悪い雑念が多いときは結局やめる。

 

 

ほんと、身近に人を思いやる大人がいなかったのは、それも私の徳が低いせいだろうか?

時代ももちろんあるとは思うけど。今どきの親と、戦前戦後を幼少期に過ごした親では価値観も違うだろう。

 

 

三年位続けたら少しは考えられるようになるだろうか。

まだまだ練習が続く。

毎日少しでも寄付について考え続ける。