mir-aclの物置小屋

情報置き場

人として

何日間、耐えればいい人と言われるのだろう。

何日間、見ないふりをすれば、おとなしくなったと言われるのだろう

お互い無言を貫くこと=平和 ではないよ?

 

「私」という個体が日本の平均より変わってるのかもしれない。短気? でも、傷つく気持ちは持っている。

大体こういうときの勘て、当たるものだしね!

 

 

 

 

 

批判の是非もまた別の問題で、批判=伝えること=是と思っている。是と思っているのに「伝えたこと、批判」として捉えて自己矛盾、自責の材料になっている。

 

 

 

私はまた誰かを傷つけましたか?

私は繰り返しこの問題で、果てしない孤独と悲しみの中に投げ込まれる。

 

正解なんて、、んなもんないし、誰も示してくれない。私自身がわかるわけもない。私が不良品で壊れていて、

そう。

 

 

 

 

誰かのためにしたことに見返りを求めてはいけないよ、っていうでしょう。わかっていても 気持ちが揺らぐ。たったそんなことが「安定」から踏み外すリスク。

 

 

でも、私の魂は止まらない。ひたすらまっすぐにしか進めない。トラブル一直線。

少なくとも見返りでなくとも、辛くなることは避けたいはずなのに、お構い無しに一直線。

悲しくなって大泣きすることしかできない。

ここから、なんの成長を見込めばいいのか。

 

 

もし、高次のなんかが見てるなら、もう何十年もドツボにはまりまくってる。もう限界。まっすぐは長所で短所なのはわかっている。

伝えることが否だけではないよ、

でも自分が辛くなりすぎる。助けて。

味方が。

味方がほしい。